過疎のすすむ土地にあって、夫婦協力し田を育てていた賢治さんは、50年間米つくりをしていても「五十回目の新人」という謙虚な姿勢の人。
その地で稲作をする者が自分たちだけになってなお、負けるつもりなく、時に祈りを込めて作業にあたっていたところ、妻の春子さんが病に倒れ、賢治さんの胸にも寒い夏の悪い予感がよぎるのだが、それでも稲は人を待たず、生長を続けた。
一生懸命に生きる稲は、秋の訪れとともに黄金色に熟れた穂を垂らし、風景の一部でありながら、賢治さんたちにとって“世界”である田んぼが映し出すみなぎる〈いのち〉は、刈り取られ人々の命を養ったあと、静かに眠ってまた次への力を蓄えるのだった。
「次の年もまた次の年もここでコメ作りをするのが自分の人生」 そう決めている方々のおかげで、美味しい御飯が食べられるのですね。
立松和平・文
横松桃子・絵
薦めたい学年:読み聞かせ Level 4
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