読書も学びも積み上げていくもの



 読書も学びも、積み上げていくものです。
 各書籍の紹介ページに、「薦めたい学年」を記載しましたが、読書は何も焦る必要がないので、下から順に積み上げるように薦めてあげて下さい。 一生かけて良いものをゆっくり読んでいけばいいのです。
 「うちの子は読めるから」は多くの場合、過信です。 教室でこどもたちと接していても、入室当初から問題なく読書できる子は少ないもの。その上、きちんと矯正してあげなければ、いつまでも悪い癖が抜けません。 冊数と時間とを無駄に重ねてしまうというのが、一番怖いことです。
 ここに記した「薦めたい学年」を参考に、皆さまには適切な選書とお子様方への直接の本紹介そして、ときどき内容確認をお願いしたいところです。 まずは「当サイトの眺め方」をご覧ください。



ふしぎなかぎばあさん

テストの点数も悪く、重い足取りで帰宅したかぎっ子(※)の広一が、大切な家の鍵がポケットから無くなっていることに気づき困り果てていると、雪の降りはじめた中、見知らぬ奇妙なおばあさんが現れた。
黒服に黒いバッグ、ピンク色の傘といういで立ちで「かぎばあさん」を名乗るその女性は、かばんから何百もの鍵の束を取り出すと、彼の家のドアを開けたので、広一はありがたく思いながらも不信感を持ち身構えたが、彼女が手料理をふるまったり読み聞かせをしたりしてくれたのを楽しむと、すっかりその人の好さに感心してしまい、おばあさんもまた、それだけ済ませると、困っている他のかぎっ子のためにと帰っていった。
かぎばあさんの足あとが雪に残らないことを不思議に思いながら見送っていた広一は、ふと目が覚めると、失くしたはずの鍵を手にソファで横になっていたので、すべては夢であったかのようにも思えたが、満たされて重い広一のお腹は、かぎばあさんが確かにいたことを教えてくれているようだった。

内容から、グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』と対照をなすお話のように見る方もおられるかもしれません。
ただ、こどもたちの心の隙間につけこむような悪い大人たちが世の中にいることを完全には否定できないものの、寂しさや心細さを抱えてご両親不在の時間を過ごしている子たちは〈かぎっ子〉に限らず多くいるはずで、今回の作品は、そのようなこどもたちの心を1976年の出版当初からあたため続け、それゆえ大ベストセラー、全20作もの一大シリーズになったのだと思われます。
外はすっかり暗くなり、一面に積もるような雪が降っていたにもかかわらず、広一とかぎばあさんのいる部屋のなんともあたたかそうなこと!そのあたたかさを生んだのは、明かりや暖房というよりは、かぎばあさんの存在と、彼女による手料理であり、歌であり、読み聞かせの時間だったのだろうと思うのです。

「かぎっ子」とは、家庭の事情で、学校からの帰宅時に親や他の家族(保護者)が自宅におらず、自ら家の鍵を持参している子供の事を指す通称。

手島悠介・文
岡本颯子・絵

薦めたい学年:2年生後半~3年生
物語文・77ページ




以下、シリーズ作品についても出版年の古い順に掲載しておきます。
(文庫本やKindle版のみのもの、絶版のものもあるようです)

  

  

  

  

  

  

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