中学受験を目前に控え、もう一つ節目を迎えようとする学校生活には見向きする余裕もないほど、剛(つよし)は慌ただしく彼の毎日を過ごしていた。
しかし、1995年1月17日 午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災が、剛や家族、友人、知人... そして考えの及ぶよりもずっと広範で、それまで“当たり前”に送っていた生活をぶち壊し、剛をはじめ、こどもたちはそれぞれにやるせなさや苦労を背負うこととなる。
それでも、体育館での集団生活で普段関わることのなかった人々と協力し、不自由を乗り越えることを学習した彼らは、生き残った者の責任を果たす生き方をすべく、哀しみを刻んで、新しい生活へと向かっていった。
岸川悦子・文
ふかやかよこ・絵
薦めたい学年:4年生3月~6年生
先ほど綴ったように、私は祖父のことで胸がいっぱいでしたが、3年前の3月11日を境に、私が昨朝経験したのと同じ「残された者」の痛みを 約16,000の人の家族・親族・友人がそれぞれに経験しています。 5000もの人の還りを待っている人がいます。 生も死もけじめのつけられない毎日の中で、一目だけでも逢いたくて。
死者・行方不明者あわせて1万8517人という記事になってしまえばそれだけですが、その一件一件に、生まれてから亡くなるまでの周囲や歴史との関わりのドラマがあって、ひとつひとつが涙なくして語れないものであることは、「死」の哀しみを感じたばかりの今、よく分かります。
どんなに格好つけても、忘れると思います。 薄れると思います。
哀しみを共有することは難しいものです。
それでも、忘れそうになったら、もう一回思い出す努力をすればいい。
こどもたちには「知らなかった」なんてこともありますが、それなら学べばいい。
悲惨な事件でも事故でも、それが天災でも、個人の哀しみでも。
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