夜明けを迎えようとする田んぼの中で、昼間食べた太ったイナゴの満足な味を思い出しながら、一方で、食べるつもりもないのに食指が動いてまる飲みしてしまったあめんぼ2匹について、苦いだけの取るに足らないものと、食べたことへの後悔さえ浮かべていたかえるのじいさまの前に、食べられたあめんぼの娘おはなが現れ願ったのは、「自分を食ってくれ」というものだった。
両親のそばへ行きたいと懇願するおはなを前に、生まれて初めて胸が重くなったのを感じたじいさまは、それまで価値を見出していなかったあめんぼの味、あめんぼを食べるという行為をあえて評価し、おはながそれ以上悲しまないように気遣ったり、今にも舌が伸びてしまいそうのを我慢しながら、彼女が両親へせめてもの想いを伝えるのを、口を広げて受け入れたりした。
姿の見えない両親につよく生きていくことを約束し、おはなは去っていったが、じいさんは何があろうとあめんぼだけは食べないことにしようと心に決めたのだった。
相容れることのない価値観について描かれているように思います。 そして、相手にとって価値あるものを奪ってしまったときに起こりえることを、じいさんは「面倒」と表現しています。
自らの価値感を否定される瞬間があるのも、相手が価値を見出しているものを時に私たちが奪ったりしてしまうことがあるのも、その前後で争いがあるのも、共生社会の抱える宿命ですね。 “共感”するにも背景を共有していることが必要だったりしますが、それが無い場合をかえるとあめんぼで表現してくれているように思います。
彼らが出会ってしまってからの展開では、“共感”よりもハードルの低いものとして、相手に“寛容”であることが提示されていたようにも感じました。 シンプルなお話ですが、立ち止まってみようとすれば、こどもたちと色々考えられる、教科書に載っていてもいいような内容でした。
深山さくら・文
松成真理子・絵
薦めたい学年:読み聞かせ Level 2
読み聞かせにかかった時間:6分
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