読書も学びも積み上げていくもの



 読書も学びも、積み上げていくものです。
 各書籍の紹介ページに、「薦めたい学年」を記載しましたが、読書は何も焦る必要がないので、下から順に積み上げるように薦めてあげて下さい。 一生かけて良いものをゆっくり読んでいけばいいのです。
 「うちの子は読めるから」は多くの場合、過信です。 教室でこどもたちと接していても、入室当初から問題なく読書できる子は少ないもの。その上、きちんと矯正してあげなければ、いつまでも悪い癖が抜けません。 冊数と時間とを無駄に重ねてしまうというのが、一番怖いことです。
 ここに記した「薦めたい学年」を参考に、皆さまには適切な選書とお子様方への直接の本紹介そして、ときどき内容確認をお願いしたいところです。 まずは「当サイトの眺め方」をご覧ください。



偏見を外す

私は、ある理由から、日本ではマイノリティ(少数派)であることを、いつもどこかで意識して育ってきました。実は私、アメリカ人のハーフ(half American half Japanese)なのです。
自分を周囲がどのように見ているのかを考え悩むことは、一定の年齢になれば誰にでも出てくるものですね。ただ、今では多様化し珍しくなくなった“ハーフ”という存在も、当時は都心でさえ、小学校全学年600~700人に2、3人といった割合だったのではないでしょうか。少なくとも、私が置かれていたのは、そのような環境でしたので、周りと圧倒的に違う顔をしていることや、違うところの少なくない生活習慣を客観的に眺め憂うということが、早い段階からあったと記憶しています。

前回紹介の『あしなが』では、実は周辺に住みついている野良犬たち同様、家なしで毎日ゴミをあさっていた犬あしながが、容姿だけで偏見を持たれ、次第次第に面白おかしく噂話の対象となっていき理不尽に嫌われていく様が描かれていますが、その通り、世の中では“人(周囲)と違う”というそれだけで、何をしても、いえ、していなくても目立ってしまい、勝手な想像の対象となってしまうものなのだと言えるでしょう。そして、それは絵本や犬の世界というでなく、日本に限定されるでもなく、世界中で共通にみられることがらでしょう。最悪の場合は、迫害というかたちを迎えます。
絵本の中で、犬たちは言葉を交わし、事実に基づかない印象を少しずつ解消して仲良くなっていったように見受けられます。私たちも言語を授かっているのですから、まずそれをもってコミュニケーションを交わし、少ない差違よりも多くの共通項を見出して、それまでよりも一つ大きな枠の中で仲良くすべきでしょう。そして現実的には、もしも齟齬(そご)を感じ仲良くなれないと感じても、「そういう人もいる」と区別こそすれ、中傷や差別をするべきではありません。お互いに。

一方、マイノリティの視点で読んでみて、物語中で鍵となったのは、あしなががケンに自分の大切なことを教えた点ではないか思っています。あしながは良いエサの落ちている場所を教えましたが、これはとても勇気のいることです。なぜなら、相手次第では次回からそこが占拠されてしまうかもしれないからです。
自分からも、理解を待つばかりでなく歩み寄る。私の場合は、それが十分な日本語の操作というところに結実したのかもしれません。


『あしなが』
あきやまただし・作
薦めたい学年:読み聞かせ Level 2
読み聞かせにかかった時間:6分半


0 件のコメント:

コメントを投稿

ご意見・ご感想、お待ちしております。