読書も学びも積み上げていくもの



 読書も学びも、積み上げていくものです。
 各書籍の紹介ページに、「薦めたい学年」を記載しましたが、読書は何も焦る必要がないので、下から順に積み上げるように薦めてあげて下さい。 一生かけて良いものをゆっくり読んでいけばいいのです。
 「うちの子は読めるから」は多くの場合、過信です。 教室でこどもたちと接していても、入室当初から問題なく読書できる子は少ないもの。その上、きちんと矯正してあげなければ、いつまでも悪い癖が抜けません。 冊数と時間とを無駄に重ねてしまうというのが、一番怖いことです。
 ここに記した「薦めたい学年」を参考に、皆さまには適切な選書とお子様方への直接の本紹介そして、ときどき内容確認をお願いしたいところです。 まずは「当サイトの眺め方」をご覧ください。



十二歳

新しいことを覚えるのは楽しく爽快で、絵でも裁縫でも運動でも、手を出してみたことは何でも一通り器用にやってみせることができるものの、凝ることができず、それ以上の楽しみを見つけられないまま飽きては途中で投げ出してしまう自分、結局何も残らない自分は、どんどん先に進んで行ってしまう友人たちのように、いつか“何かになれる”のだろうか……鈴木さえは考える。
そして、セミの幼虫が朝には成虫になっていた夏の観察を重ねて、ひっそりと厳かに成長したように見える仲間を羨んだり、それまで目立つことのなかった友だちが大きなジャンプを遂げたと感じ驚く気持ちを、少し目を離したすきに形を変えてしまう空の雲にも見出し途方に暮れたりしながらも、一方で、昔遊んで今は見向きもしなくなった遊具の中に、小さいころに大きく感じていた風景が今ではちっぽけに映る現在の中に、時間の流れと共にある自分の成長を感じて、生きることに対し、次第に自分なりの答えをもつようになっていく。
大人の途中のこども。そんな“十二歳”をいま生きている彼女は、小学校卒業を迎えた日の空、まだ雲で覆われているこちら側の空の向こうに、きれいな水色を見ていた。

この作品も、昨日の『清政―絵師になりたかった少年』と同じようなテーマで書かれています。文庫版にある解説から言葉を借りれば「もう、無邪気な“子供”ではいられないのに、まだ“何か”にはなれない自分」への焦りや葛藤です。
12歳という年齢について「心と体がちぐはぐだ。こどものふりをしているくせに、心はとっても紳士的だ。」と記述された部分がありますが、身体的な変化への戸惑いのようなものは扱われておらず、回想を加えながら、目の前の考察に終始しています。性別を問わず楽しんで読書できるでしょう。
皆が経験するような小学6年生の日々を素材に、主人公さえの泳ぎの嗜好そのまま、ゆっくり気持ちよくのびのびと、落ちついて泳ぐことで見えてきたいろいろに、静かに焦点を当てたような内容でした。

椰月美智子・作

薦めたい学年:小学6年生~中学1年生(12歳の間に)
物語・全237ページ(文庫版)


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