読書も学びも積み上げていくもの



 読書も学びも、積み上げていくものです。
 各書籍の紹介ページに、「薦めたい学年」を記載しましたが、読書は何も焦る必要がないので、下から順に積み上げるように薦めてあげて下さい。 一生かけて良いものをゆっくり読んでいけばいいのです。
 「うちの子は読めるから」は多くの場合、過信です。 教室でこどもたちと接していても、入室当初から問題なく読書できる子は少ないもの。その上、きちんと矯正してあげなければ、いつまでも悪い癖が抜けません。 冊数と時間とを無駄に重ねてしまうというのが、一番怖いことです。
 ここに記した「薦めたい学年」を参考に、皆さまには適切な選書とお子様方への直接の本紹介そして、ときどき内容確認をお願いしたいところです。 まずは「当サイトの眺め方」をご覧ください。



思考停止の呪文

私が教室の生徒、とくに小学6年生や中高生に止めさせる習慣があります。それは、会話や発想の中で「結局…」を使うことです。
この言葉を使うのは、思考が停止したときですね。一口に「停止」といっても、“行き止まり”もあれば、“わかったつもり”もあるでしょう。

今回の図書『だれか、ふつうを教えてくれ!』をご紹介した後ですので、これについて考えてみるとして……
「障がいの方でも誰でも、皆が幸せであるということは、結局、助けあわなければいけないということだ。」と言えば、聞こえは大変良いのですが、これでは抽象的すぎます。
一方「この本を読んで、“ふつう”などという考え方は結局存在しないということが分かった。私たちは、障がいをお持ちのかた一人ひとりが、何を欲しているのか、いないのか、といったところにまで意識を向ける必要がある。」と考えられれば、今回のところはとてもよいのですが、一人の著者、一冊の図書から「“ふつう”などという考え方は存在しない」と決めてしまうのは、早急なのではないでしょうか。これから自身で体験することも含め“ふつう”について考えはじめる機会になるはずの場面が、他者の意見から影響を受けすぎ、わかったつもりになってしまった例でしょう。


ソクラテスの遺した言葉に、次のようなものがあると言われています。
「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」

いつまでたっても何も知らないつもりで、言い換えれば、知り終わっていないつもりで考えを重ねていくことが、賢者の態度というものだといえるでしょう。
一朝一夕に身につけられる姿勢ではないかもしれませんが、まず「結局…」と一言添えてしまう癖を取り除くところから、こどもたちの中に、新しく大切な習慣が生まれてくればと、私も期待しているわけです。




『だれか、ふつうを教えてくれ!』
倉本智明・著
薦めたい学年:中学生以上


ついでにもう一つソクラテスの言葉とされているものを紹介して、この投稿の締めくくりとしたいと思います。図書紹介のサイトとしては、声を大にしてお伝えしたい一言です。思考も読書も、積み重ねていきましょう。
「本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ」

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